(敬称略)
先週のことを思い出しながら、思い出そうとしていることにショックを受けた。
あんなに高揚し感動したはずなのに、目に浮かぶのは、翌朝のスポーツ紙の一面が必ずしも今永ばかりではなかったあの光景だった。わたしはコンビニの入口で呆然として立ち尽くし、それでもなんでもと5紙を購入すると、じめじめとしたほの暗い地下鉄に乗り込んだのだった。
脳には、わたしがいい気持ちでいられるようないい塩梅で情報を整理してほしいものだ。臭い地下鉄の記憶など、優先的に消されるべきどうでもいい情報である。そんな不要な情報のために最も尊い記憶を失ったのだと思うと、ショックはさらに増した。
なぜわたしは今永がノーヒットノーランを達成した瞬間をよく覚えていないのだろうか。今永は本当にノーヒットノーランを達成したのだろうか。もしかするとこれは、阪神とのゲーム差におびえるベイスターズファンの捏造した虚構なのだろうか。
わたしは急に不安になり、Googleで「今永」と検索してみた。ネットニュースの見出しがずらりと並んだ。安堵したのと同時に、今度は呼吸を忘れた。指先から全身に向けて衝撃が走り、ぶるりとして二の腕をさすると、すべての毛穴が起立してぶつぶつとしていた。
よかった。
今永選手、おめでとうございます。